夏休み 2日目 土方歳三巡り
2008年 08月 30日
まずは市電の一日乗車券(600円)で、最寄の五稜郭公園前まで移動して、徒歩約15分で五稜郭タワーに到着します(一日乗車券を提示すると840円が760円に割引になります)。
エレベータで展望台へ行くと、そこでは五稜郭を一望できます。


床の一部が強化ガラスになっていました。オイラの足ではないです。

五稜郭のアナトリウムには、土方歳三のブロンズ像が立っています。



五稜郭に立つ 土方歳三
この像は、旧幕府軍が蝦夷地から一時的に新政府の勢力を駆除し、暫定政府を樹立した明治元年12月15日、戦場から凱旋した土方歳三が、乗馬用の鞭を片手に五稜郭に降り立った姿を再現したもので、函館出身の彫刻家、小寺真知子さんの作品です。
五稜郭タワーのホームページ
http://www.goryokaku-tower.co.jp/
五稜郭タワーを出た後は、湯の川温泉大盛湯(390円)で温泉に入ってから、土方歳三最後の地を訪れました。オイラは土方歳三は五稜郭で亡くなったものと思っていましたが、違ったんですね。

土方歳三最後の地
新選組副長として京都の街に勇名をはせた土方歳三は鳥羽伏見の戦いの後、新選組を率いて各地を転戦して北上し、仙台で旧幕府海軍副総裁榎本武揚が式する脱走艦隊と合流した。
明治元年(1868年)10月、蝦夷地(北海道)に上陸した榎本軍は、箱館を占拠して新政権を樹立、土方はその陸軍奉行並の要職についた。
翌2年4月、新政府軍の総攻撃に榎本軍は各地で敗退したが、土方が守った二股口(現・大野町)だけは最後まで落ちなかった。
しかし、同年5月11日、ついに箱館も政府軍の手に落ちた。土方は箱館奪回を目指し、50名の兵を率いて一本木(現・若松町)の関門を出て箱館の市中に向かい、敢然と切り込んでいったが銃弾に当たって倒れ波乱に満ちた生涯を閉じた。時に35歳であった。
土方歳三の最後の地も見に行かれたんですね♪
遺体は碧血碑(函館山中腹あたり)に埋葬されたとか
あるいは、五稜郭に埋葬されたとか色々言われていますよね。
でも晒し首とかにされないように、土方歳三の名誉を守って
遺体を隠した人たちがいたことを思うと、
それもなんだか泣けてきます・・
今も函館のどこかで静かに眠っていることだけは確かでしょうけど、
でも、まさか今の時代に唯一残した自分の写真が
おみやげ品にまでなるなんて夢にも思わなかったでしょうね(^^=)

函館山と五稜郭に寄って来ました・・・資料館はともかく、街は変わったでしょうね、
五稜郭・・・桜の時季に行って観たいと思った処です。

土方歳三が生き返って今の世の中を見たら、どう思うでしょうね?「俺はこんな世の中にしたくて死んだんじゃねぇ!」って叫ぶかなぁ?
うわぁ!うっかり夫婦喧嘩をして「実家に帰らせて頂きます」なんて口走ったら、旅費が大変ですね!!
あの木々は、もしかして桜なんですか?んー、来年は桜の季節にまた行くかぁ?と思ったオイラでした。
過去の出来事、過去の人の事は、勝てば官軍の方々がいいように事実を捻じ曲げて情報を伝えるので、現地で情報を聞かないと分らないことは多いですよね。

実は、先週に札幌・函館へ旅行へ行ってきたんですが、
函館を観光した際にこちらのブログを参照させて頂きました。
記事内容がとてもわかりやすかったので助かりました。
新選組は僕も好きなので、今後も何らかの形でお世話になるかもしれませんね。
一応、ご挨拶まで。
オイラの場合、弾丸旅行が多いのでほとんどが参考にならないと思いましたが、ご参考になったのなら幸いです。