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けち田の由来

 昔、藤田城の殿様が須釜に移ってから、お寺や薬師様も須釜に持っていかれてしまった。
八幡様も須釜に建立されてから、中野八幡様は御神体を須釜に持っていかれて、中野八幡様は、御神体の無い空八幡様だと言われるようになった。
 これを悔しがった中野の青年達は、須釜八幡様へ押しかけ、御神体を取り返して中野八幡様へ納めました。それ以来、中野青年と須釜青年との間で、何回となく争い事が続いた。
その時も大勢の須釜青年が八幡様を取りに来たと大騒ぎになった。急を知った中野青年は、既に引き上げた須釜青年を追って灯篭場(地名)で追いつき、大喧嘩となって遂には死傷者まで出してしまったが、御神体を持った須釜青年は逃げてしまった。
 この悪夢のような出来事の後、血を流したその近辺の田を作った家には、病気災難が続いた。
 それから、長い年月を経ても不思議な事にその田を作った家は、不幸な事が続いた。村の人達は「あの家にはケチがついた。あの田を作ったからだ。あの田は、ケチ田だ。」と言うようになった。
 この嫌われた田は、何も知らない遠くの村に売られたが、その田を作った家にも不幸が続いた。また、個人ならダメでも団体なら大丈夫だろうと消防団が無料で作っていた時期もあったが、不幸はやはり続いた。
 第二次世界大戦中、食料増産の掛け声の時に、悪魔払いをして田を作った人は、供養をしたお陰か何事もなかったと言う。
 この場所は、現在の野木沢小学校への道の北下方にあります。

矢吹広実さんが昭和54年に編集された「野木沢風土記 中野編」より
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by geiei | 2006-01-21 18:49 | 伝説 | Trackback | Comments(0)

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