青森県の6件目は高山稲荷神社です。
ここは、Instagramで、どなたかが沢山の鳥居の写真をUPされていて、それで気になっていたので寄らせて頂きました。
千本鳥居は、敷地の奥の奥に在って、小高い丘を一つ越える必要がありました。暑い日の参拝は注意が必要です。
そして、ここで一番驚いたのは、所説あるそうですが、この神社の創建にあの赤穂藩がかなり遠回しであっても関わっていたとしたら何だか不思議な感じです。
高山稲荷神社
当社の創建年代は詳らかではないが、鎌倉時代から室町期にかけて此のあたりを統治していた安倍安東 (藤)氏の創建と伝えられる。
江戸時代の古地図には、高山の地は三王(山王)坊山と記されており、当社の境内社である三王神社創建の社伝には、十三東方に山王日吉神社を中心に十三宗寺が建ち並ぶ一大霊場があり、安東(藤)氏の祈願所として栄えるも1443年(嘉吉3) [または1432年(永享4)] 頃に南部勢の焼き討ちにより焼失。この時、山王大神さまが黄金の光を放って流れ星のように高山の聖地に降り鎮まられた、と伝えられる。
稲荷神社創建の社伝には、江戸時代の元禄14年(1701)、播磨国赤穂藩主浅野内匠頭長矩の江戸城中での刃傷事件による藩取りつぶしの際、赤穂城内に祀っていた稲荷大神の御霊代を藩士の寺坂三五郎が奉載し、流浪の果て津軽の弘前城下に寓し、その後鯵ヶ沢に移り住み 「赤穂屋」と号し醸造業を営み栄える。その子孫が渡島に移住するにあたり、この高山の霊地に祀れとのお告げにより遷し祀った、と伝えられる。稲荷創建の社伝は他にも所説あるが、何れも江戸時代に入ってからのことである。
これらを総合して考えると、元々は三王神社が祀られ、その後江戸時代に稲荷神社が創建され、江戸時代の稲荷信仰の隆盛とともに稲荷神社が繁栄し元々の三王神社が後退したものと考えられている。
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