会津ころり三観音の一つ立木観音が祀られています。
これで、会津ころり三観音のコンプリートです。しかも、芭蕉の句碑を見つけて、幸福度が爆上がりです。
重要文化財 恵隆寺観音堂
国指定 明治37年2月18日
所在地 会津坂下町大字塔寺字松原
寺伝によれば鎌倉時代初期の建久年間(1190~8)の創建といわれ、永禄2年(1559)の修理の後、慶長16年(1611)の会津大地震に倒壊し、元和3年(1617)に再建された観音堂で、御丈8.5メートルの本尊を納めるにふさわしい五間・四間の大堂である。向拝は後補のもので、雨落ちに葛石をめぐらし、柱は総て欅の円柱で、緑長押・内法長押・柱頭には頭貫を回し、平三斗が組まれ中備えに撥束(間斗束)が配されている。軒の出は深く二重の繁垂木 は隅木近くで程よい反りを見せ、茅葺・寄棟の屋根には会津地方独特のグシ飾りがある。細部には元和の修理による唐様の手法も見られるが、会津では喜多方市熊野神社長床につく純和様の古建築で貴重である。
重要文化財 木造千手観音立像
国指定 大正4年3月26日
所在地 会津坂下町大字塔寺字松原
恵隆寺観音堂の本尊で、像高8.5メートルの東北で最大、わが国でも有数の大像である。材は今のところ不明であるが、大木にあまりノミを入れない像容は柳の立木に刻んだという寺伝にふさわしい。頭上に十面を戴き、四十二臂に作られる。頭・胸は一本彫成、両臂のところで剥ぎあわせ、合掌手・宝鉢手以下四十臂は別木である。長大な下肢には腰裳を二段に配するなど工夫が凝らされ、全身には漆箔が施されている。造像の時期は観音堂とほぼ同時代の鎌倉時代初期が考えられている。
会津坂下町教育委員会