石碑にあった500m離れた場所へ行くと経塚ではなく、安珍の墓の看板があります。
そこからは細い道を歩いて直ぐです。民家の裏手なので本当に在るか疑心暗鬼になりそうな場所に在ります。
なぜ、観光資源に使わないのかな?と疑問に思えますが、かなり分かり難い場所なので無理もないかもしれません。
さて、実際のお墓ですが、これだけ墓石が並んでいるとどれだか分からないです。何の説明書もないです・・・。でも、一番高い墓石の前に花を活ける道具があるので、これが安珍のお墓と思われます・・・。
安珍の墓
醍醐帝の時代延長6年(西暦928)に紀伊国真名子庄司の娘㐂代姫は安珍を恋慕したが安珍は僧の身として道成寺の鐘に隠れた。
㐂代姫はそれを追い一心蛇身となって日高川を渡りこの鐘に巻きつき火焔を吐き安珍を焼死させた。
このことは古くは今昔物語、近くは長唄道成寺等の芸能で名高い。この安珍は白河郡根田村の僧であるためそのしるしとして安珍墓のかたわらに桜を植えたが枯れて今はない。近くに安珍経塚、安珍屋敷跡、安珍嘆きの藤、安珍念仏踊り(市無形文化財)等がある。
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