昨日ご紹介した宇迦神社の由緒にあった「大清水」をヒントにGoogleMAPを見ると北側に大清水池ってのがあったので行ってみるとビンゴでした。
池の袂に看板がありました。そして、その奥を少し歩いた場所に「宇迦大神発祥之地」の碑が建ててありました。んー感慨深い!!
宇迦大明神発祥之地
棚倉の伝説のはじまりは、何よりもその守護神である。
宇迦神社のはじまりにまつわる伝説からひもとかなければならないだろう。
由来
時は、四世紀半ばすぎ成務天皇の御代。この頃、大和朝廷は、天皇の政治を全国にゆきわたらせるため、国造とやばれる地方長官を各地に送り込んだ。白河の国造に任ぜられた塩伊乃己自直命は自ら先頭にたって、未開の原野を切り開き、持ってきた種籾をまいて水陸田を経営し種籾を採った。こうして白河の地に稲作をおこした命は、人々に親とも神とも仰がれるようになった。
また、命は自河の開発に際して、飯沼の地に豊宇気毘売の神を祀った。豊宇気毘売の神は別名を倉稲魂命という。
さて、宇迦神社の御神体は白蛇だとむかしから言い伝えられている。もちろんこれには由来がある。時は、成務天皇の御代から600年ほどすぎた聖武天皇の御代。ところは磐城の国飯野村(現在の上台・玉野・福井)、飯野村の信心深い若者(農夫)が西国の神社めぐりの旅に出た。めざすは西国の御畿内(現在の京都・奈良・大阪・兵庫方面)の神社めぐりだ。
次々と参拝をすませていった。そして摂津難波(現在の大阪)で泊り夜おそく、「わしは白蛇の姿に示現した神霊じゃよ。これより東国にわしのゆかりの土地がある。そこまでわしを連れていくがよい。」若者は神のお告げにしたがって背負いかごのふたを決して開けず、ひたすら帰国の道を急いだ。そして苦労の末にやっと故郷の飯野村(現在の福井)の地にたどり着いた。
その夜おそく、「ここがわしのゆかりの土地じゃよ。この近くの山際にわしを祀ってくれ。かならず霊験あらわしてしんぜる。」
翌朝、若者はお告げにしたがって沼のほとりに出かけていった。そしてかごのふたを開けると、白蛇が出て入り込んだこの祠こそ、塩伊乃己自直命が建てた祠であった。すると、不思議なことに飯沼の清水がどんどん湧き出し大きな池となった。
これが今の大清水池である。その後、大変な日照りがこの地方をおそったが、この池だけは水が湧き続けている。 ありがたいことじゃ。こうして、宇迦神社の白蛇さまは、村人の信心を集め、この里の守護神となったのである。 (たなぐらの昔話より)
宇迦神社のおこりは、今からおよそ1260年ほど前にさかのぼります。聖武天皇の御代、神亀年間(724~729)のころだといわれています。
現在の宇迦神社は、棚倉町大宇花園宇鹿子山にありますが、永禄3年に幕府の意向でこの地に移される前は、大字福井に祀られていたのです。神社跡には現在も小祠堂が残されています。福井の宇迦神社跡のかたわらに大清水池があります。この池は宇迦明神霊験によるものであるといわれています。
福寿会(福井老人会)
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