ちょっと気になる神社:宇迦神社へ行ってきました。
何だか由緒正しい神社のようで、長い階段を上って上って本殿に行きます。とその前に、狛犬とユニークな仁王様に守られている仁王門がありました。
そして、今回の最大の発見は手水舎にあった由緒書です。そこには、棚倉町の起こりが書かれていました。大清水って場所へ行けば、もう少し何かが見えてくるかも!?
由緒
成務天皇の御代 塩伊野己自直が白河の国造に任ぜられた際、土地をひらくために、倉稲魂命を飯沼(今の大清水)の近くに地を撰んで御祭り申し上げました。その起源は神亀年間(724)当時飯野村(現福井)に宇迦明神を祀ったのが御創立であり、それ以後御神徳により、地方に住民盆し、土地は立派になり、幸福平和の代がつづきました。戦乱続いた足利時代の末、立花宗茂がこの地方を治めることになって赤館を根城とするに及び、現在の鹿の子山にお移し申上げお宮を立派に建て替えて、厚く尊崇しました。
後、德川の代になり、代々の領主は御領内惣産土神宇迦大明神と申上げ藩主初めて着任の時は、先づ参帯、厚く祈願をこめ、毎年例祭は勿論、正月、五月、九月には、吉日を選んで直参又は代参をせられ、其の他臨時に参詣せられ、每度奉行所記録には特に滞りなく相済み申候と大書してあります。又御国替の時は代々灯籠や其他の物を献納して御礼の記念とせられました。御供米や、神田・山林等も代々奉られていたこと、臨時に御供金を奉られたこと等種々、井上文書には教えきれぬ程記録されてあります。
歴代薄主の中でも、内藤紀伊守弌信は、別して尊信あつく、元禄14年(1701)非常な大金をかけて社殿をお建替申上げました。代々の薄主が、か様に崇敬の範を示されたので、社川・久慈川流域の住民は挙って崇敬、神恩に浴して来ました。明治6年村社に、昭和16年7月14日県社に列せられました。これ皆御神徳の自然のあらわれでありまして、吾人氏子崇敬者は愈々以て崇敬の実を現わし、大皇国の御栄を祈り上げ、御神徳の発揚に一段の努力を致すベき、重大なつとめと意義とを自覚せねばなりません。
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