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東金砂神社1 @茨城県

北と言えば南。西と言えば東。と言うことで、西金砂神社と対をなす東金砂神社へ行きました。
 東金砂神社には西金砂神社には無かった仁王門が在り、表には個性的な仁王様が守っているのですが、裏には石臼と臼が置いてあります。これって、なぜ?

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田楽舞
 古来瑞種の国といわれ、農を国の本とし米を主食として生活してきたのであから、風雨や鳥虫の害もなく、豊かに実るように祈る祭は、上代人にとって欠くことのできない重要な行事であった。田楽とは、田家の楽、田舎の楽などの意で、田の神を祭り農夫の苦労を慰めるため、笛や鼓を鳴らし舞い踊ったのに起こるいわれてい る。平安時代末期に始まり、現在では格式古例を重んずる古社の祭事として氏子保存会により伝承され、茨城県指定無形民俗文化財となってい る。
・第一段 四方を固め
 天孫降臨の故事に因んで、猿田彦命の面を冠り、太刀・柄太刀・矛・筥秡を順にもって四方を固め天下太平を祈る。
・第二段 獅子舞
 獅子は荒振る神を表し、笑いの面は御祭神大国主命を表し、御神徳によって荒振る神を平定する。
・第三段 巫女舞
 前段において荒振る神を平定した後、神盧を慰め奉る。
・第四段 三鬼舞
 青鬼は松明、黒鬼は斧、赤鬼は金棒を持ち舞う。護摩火をたく神猿(8,9歳から14、5歳の男子が奉仕)を追い散らして護摩餅を持ち去る。

由緒
 延暦25年(806)3月(5月に大同と改元)平城天皇の勅願によって、宝珠上人が社殿を造営し祭壇を設けて、現在の滋賀県大津坂本にある日吉神社(山王権現)の祭神の分霊(大已貴命 少彦名命)を祭り、国家安泰、五毅豊穰の祈願所とした。 翌大同2年(807)坂上田村麿が蝦夷征伐の際、祈願のため多宝塔を建立した。 承和年間(834~848)唐から帰国した慈覚大師が、嘉祥2年 (849)諸国巡礼の際当山に登り、山上からの眺めが、比叡山に似ていたことから、21社の末社を移し祭り、羅漢堂を建て十六羅漢を安置した。
 源頼義とその子義家は、奥州討伐の際戦勝を祈願し、それぞれ太刀を奉納した。
 頼義は、 冶暦3年(1067)の大祭礼を自ら祭主となり執行した。
 佐竹氏は、当社を祈願所と定め神領1200石を献じ、建保3年(1215)家紋の扇を神社の紋章に使用することを許した。当社の紋章は「丸に日の丸五本扇」。
 元禄年間(1687~1740)德川光圀は、僧坊を廃し別当をおいた。
 祭礼は、 田楽舞が執行される2月11日の「嵐除祭」と、12月13日の「十二合祭」(金砂祭)がある。 更には、仁壽元年(851)3月の第一回執行以来、今日までの72年每に執行される。「東金砂神社磯出大祭礼(大田楽)」がある。

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by geiei | 2020-03-15 04:00 | 名所旧跡 | Trackback | Comments(0)

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by 鯨影
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