磐城=いわき なのです。それで、今回の旅になったのです。
ここ長源寺には、鳥居元忠のお墓があるのです。それで、このお寺にお邪魔したのです。しかし、お寺の入り口に、お墓があることは書いてあるものの、その場所は示されていない・・・。想像するに一番奥だろう、かなり古い墓石だろうと当たりをつけて行ってみると直ぐに見つけることができました。
墓碑には戒名しか示されていないので、もしオイラと同じことをされるかたは要注意です。
長源寺の由来
慶長5年(1600)徳川家康の命をうけて京都郊外の伏見城を死守した鳥居彦右衛門元忠は(下総国矢作4万石)、家人354名とともに、石田三成らの数万の大軍に包囲され、伏見城を血に染めて討死した。時に8月1日であった。
慶長7年(1602)元忠の勲功により、その子忠政は磐城平城主に封ぜられ10万石(のちに竹貫、上遠野2万石を加え12万石を賜った。これより先、将軍家は元忠の伏見城の忠死の功を賞し、菩提のため一寺を磐城胡摩沢に建てて長源寺と号し、百石の黒印を賜った。
以後明治まで歴代将軍御朱印百石
長源寺祠堂元忠の霊牌号は清流院殿淵室長源大居士といい。元忠の室は松平家広の
長女、家康と従姉妹なり是を以て恩遏特に渥かりしといふ。慶長18年8月卒す、戒名を松獄院殿茂林貞繁大姉といふ。