夏休み3日目 太田宿中山道会館 @岐阜県

中山道の町並みは殆ど残っていないが、太田宿中山道会館という場所で昔の中山道を偲ぶことができる。と教えて頂いたので、たった30分しかない中、レンタサイクをお借りして、古そうな家々を横目に超ダッシュで太田宿中山道会館へ向かいました。
 中に入ると昔の太田宿を復刻した建物があって、タイムスリップした感じです。そして、一番驚いたのが播隆上人の文字を見つけた時です。ここで播隆上人の情報を得られるなんて想像していなかったのでとても嬉しかったです。

播隆上人の像
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槍ヶ岳開山・開闢
 播隆の槍ヶ岳開山の道案内人となったのは安曇野市三郷小倉の中田又重であった。又重はいつも播隆の槍ヶ岳登山に付添い、影のように働いて播隆を支えた槍ヶ岳開山・開闢の功労者である。
 播隆は登山道を整備し、山頂を平げて「善の綱」(仏と縁を結ぶ網。山頂でプロッケン・御来迎を拝する)と名付けた鉄鎖をかける。松本市内の玄向寺には御来迎のようすを詳しく記した『三昧発得記』が残されている。登拝信仰を確立した播隆は富士講、御岳講のような槍ヶ岳念仏講を組織していた。

播隆の生涯
 播隆は江戸時代後期、天明6(1786)年に越中国河内村(富山県富山市河内)で生
まれた。山里に育った播隆は、十代のある時期に故郷を出、家は浄土真宗であったが上方(京都、大阪)、尾張(名古屋)の各宗寺院を遍歴した後、浄土宗の僧侶となった。
 播隆の純粋な求道心は当時の宗教界になじまず、修行の場を山岳(修験道)に求め、各地の深山幽谷で念仏行を実践した。山における播隆の足跡は伊吹山禅定、笠ヶ岳再興、槍ヶ岳開山、穂高岳登拝と山岳史の上に琿かしい功績を残した。
 播隆は自らの修行だけに生きた念仏行者ではなく、里にあっては念仏の普及につとめ、わかりやすく教えを説き、民衆とともに生きた聖(民間宗教者)のひとりであった。登拝信仰を確立して槍ヶ岳開山、開闢を成し、念仏講の人々を山上へと導いた。
 天保11(1840)年、岐阜県美濃加茂?の中山道太田宿で行年55歳をもって死去
した。

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by geiei | 2018-09-13 04:13 | その他 | Trackback | Comments(0)

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