我が町に残る和泉式部の伝説の一つの薄墨の桜です。
和泉式部をイメージしてから、この桜を見ると感慨深くなります。
「和泉式部と薄墨の桜」
石川町には和泉式部に関する伝承が数多く伝えられており、その謂れは全国に誇れるようなものです。その中でも、ここ曲木地区は和泉式部伝説の中心となるところで、式部はこの里で13歳まで暮らしたと言われています。
金子山光国寺(字仲ノ内)に伝わる「金子山光国寺由来縁起 附和泉式部元祖物語」によれば、13歳の時に両親が亡くなり、この地を去ることになった式部は先祖の墓参りをしました。祖父を葬った時に墓の印として植えた一本の桜が大きくなっても花を咲かせす墓参りのたびに、不思議に思っていましたが、式部は名残りを惜しんで次の二首の歌
なげきにはいかなる花の咲きぬらん 見捨てることを思ひしりなば
故郷を今でわかるる旅ごろも 身の行末は何国と那ん
を詠んだところ、たちまち青葉の中より薄墨を流しかけたような花が咲いた事から「薄墨の桜」と名付けたと言われています。さらに縁起によれば、光国寺の境内にこの桜の木があったと伝えています。また別説によれば、曲木の小松内には「桜坦の薄墨の桜跡」と呼ばれるところがあり、式部の父国安が毎春花見の宴を催したとも伝えています。
福島県地域づくりサポート事業 式部の里づくり実行委員会
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