南宗寺~徳川家康の痕跡 @大阪府
2013年 06月 10日
徳川家康は関ヶ原の戦いで戦死して、その後は影武者が本物のように振る舞って・・・のようなストーリーなのですが、その影武者の事実を裏付けるようなお墓があるお寺が大阪府堺市にあります。
南宗寺には、徳川家康のお墓だと伝説が残っているお墓があります。そこには第二次世界大戦で焼失したものの東照宮が在り、今も残る唐門に乗る瓦の家紋は三つ葉葵です。また、東照宮があった場所には「東照宮 徳川家康墓」と彫られた石碑があり、その裏にはその当時の府知事や市長の名前の他に松下幸之助の名前がありました。東野英治郎が主演した水戸黄門がTVで始まった当初はナショナル劇場だったそうですから、何か所縁があるのでしょうね!?
ちなみに、これらの視点はオイラが南宗寺を訪れた時にボランティアガイドの方がおっしゃっていたことをなぞっているだけです・・・。
唐門
国指定重文化財。元来は東照宮の本殿、拝殿に通じる門であったが、先の戦災で焼失し、門のみ残った。
跡には水戸徳川家家老の子孫により石碑が建てられている。
徳川時代、堺奉行の赴任の際には常に南宗寺に参詣していたといわれる。
坐雲亭
山内最古の建物。下層は茶席。元和9年(1623)7月徳川秀忠、同8月家光の両将軍の御成の旨を記した板額がかかっている。
この両将軍の御成や東照宮が祀られていることなどによって、家康が後藤又兵衛の槍に刺され南宗寺開山堂下に埋葬されていたという伝説が残った。墓は今も開山堂下に安置されている。
徳川家康のものと伝えられているお墓です。
間違いないようですね。
歴史の裏舞台を覗いていると思うと、歴史は面白いですよね。