涌谷神社 @宮城県
2012年 03月 21日
伊達騒動のようなことって現代社会の中でも起きていると思うけど、伊達安芸宗重公のように命がけで「間違ってますよ。」「ダメな行為ですよ。」って言える方って少ないような気がします。議論の先には、安定志向なところで落ち着いているような気がします。
涌谷神社由緒
一.祭神 伊達安芸宗重公
二.例祭日 4月27日
三.由緒
伊達安芸宗重公は涌谷伊達亘理氏第4代の館主である。仙台藩伊達氏の一門として2万3千石を領し、治世20年文武を励まし野谷地の開発に力を尽くし産業の復興につとめた名君である。
江戸時代の寛文年中、仙台藩主伊達綱村公幼君のため、後見伊達兵部の独裁政治を憂い悪人はびこる後見政治の打倒をはかり、仙台藩62万石の安泰を期した大人物である。
涌谷領二郷谷地をめぐる不正を証拠として江戸幕府に上訴、寛文11年(1671)3月27日大老酒井忠清屋敷の裁判において、乱心した家老原田甲斐の内刃に没した。年57。昭和3年11月正五位を贈られている。
明治7年旧館址に神社を創建して公を祀る神号を赤心猛雄命と称する。大正9年旧物見台に神明造の新社殿が竣工して今日に至る。もと郷社である。



伊達安芸宗重公胸像

伊達藩の隆盛が保たれたのでしょうね。
この方が居なかったら伊達政宗の名前ですら霞んだ状態だったかもしれませんね!?
今の方々とは目力から違うような・・・
最近の総理大臣のお歴々は、「不退転の決意」「政治生命をかける」って言いだすと、そろそろ総理大臣を辞めるって言う意味で使っているのかな?って思える程ですからね。
まぁ、政治家を辞めるのを止める何て言う病める政治家もいますがね。













