鎌倉宮
2010年 03月 27日
しかし、行った時間が16:00頃だったので、観光客が疎らで境内で行われていたフリーマーケットの片づけがほぼ終わった状態でした。気持ちが↓になってしまったので、早々に鎌倉宮を退散しました。
鎌倉宮
後醍醐天皇の皇子である護良親王を祭神とする神社です。
護良親王は、後醍醐天皇の鎌倉幕府倒幕の動きに呼応して幕府軍と戦うなど、貢献しました。
幕府が滅亡し天皇親政が復活(建武の新政)すると征夷大将軍に任じられましたが、その後足利尊氏と対立して捕らえられ、28歳で非業の最期を遂げられました。社殿の後ろ手に残る土牢が親王最後の地と伝えられている。
10月には境内で薪能が催されます。

護良親王は戦いの際に、兜に獅子頭のお守りを忍ばせていたそうな。

撫で身代わりの由来
上義光公は、護良親王の忠臣にして元弘3年(1333)正月吉野城落城の折、最早これまでと覚悟を決めた護良親王は、別れの酒宴をされました。
そこへ村上義光公が鎧に16本もの矢を突き立てた凄まじい姿で駆けつけ、親王の錦の御鎧直垂をお脱ぎいただき自分が着用して「われこそは、大塔宮護良親王ぞ、汝ら腹を切る時の手本とせよ」と告げて腹を一文字に掻き切り、壮絶な最期をとげ、その間に親王は、南に向って落ちのびました。
このように身代りとなられた村上義光公を境内の樹齢103年の欅の大木にて彫り上げ「撫で身代り」として入魂致しました。
