長慶寺の「桜井の決別像」
2010年 03月 21日
行ったのは福島県玉川村の長慶寺なんですが、「桜井の決別像」と書かれた看板と像が境内にあって、歴史の渦に巻き込まれた時期があったんだ!?って思うと感慨深いです。
桜井の決別像
南北朝の乱で南朝方の楠木正成は、わが子正行を呼び寄せて「父は兵庫におもむかん。かなたの浦で討ち死に覚悟で戦うが、汝はここまで来たれども、とくとく(大急ぎ又は今直ぐ)ふるさとへ帰って、お国のために尽くすのだ」と涙ながらに決別したのである。
わが小高の城主は、霊山の新田氏、宇津峰の北畠氏等と南朝に組していたのであるが、ある日小高からの知らせで霊山城主一族郎党が来て大法要を行ったと言われているが、誰の法要かは話されなかったという。
当寺向え側山の「東の前古墳群」は、昔は長慶天皇陵と言われていたが南北朝の乱に縁ある土地柄なのである。
それ故に、縁あって篤志により南朝方を代表される武将楠木正成親子の決別像が此処に建立されたものである。


ちなみに、ネットで調べると長慶天皇陵と言われている場所は、日本全国に20ヶ所もあるようです。