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藤田城跡

昨日ご紹介しました「野木沢北口」バス停の直ぐ近くに「藤田城跡」があります。
 石垣も城郭も何も無い城跡ですが、古き時代に武人がいた痕跡です。


国道118号線側から主郭の一部が見えます。
藤田城跡_f0048546_826974.jpg


そして、国道118号線側には、以下の文面が書いてある看板があります。

藤田城
所在地 石川町大字中野字堀ノ内高ノ内 滑津地内
藤田城は石川町大字中野の堀ノ内、矢ノ内、滑津、高ノ内の4字にまたがっている。築城時期歴史的変遷は不明であるが、一書に「石川有光、はじめて石川庄にあって藤田城を築く。他の利を得ないので三芦城に移る」とあり、また一説には「青光の長男藤田太郎光祐、藤田城を築き、後大寺城に還る」とある。この城は史料的裏付けがない。ともか<古代末から中世にかけて石川荘に拠った石川氏の築城であろう。
 石川有光は前九年の役に源頼義、義家父子に従って父頼遠とともに陸奥に下り、安倍一族と戦い、康平五年(1062)頃、父頼遠が戦死した。その後、有光は奥州の仙道の地を与えられ、翌康平六年(1063)に藤田城を築城したという。その後、中世石川氏の有力な一族であった大寺氏の領有地であったと思われる。
 この城は小さい山城の観があるが、詳細に検討すると巧妙に構成されている。北に藤田川と水田があり、東と西には麓をめぐらす水田地帯があり、南は空堀と土塁を築き、別に自然の山地を利用して郭としている。本丸と見られる最高地はほほ方形をなすが、深く切り立って侵攻を防ぎ、南西に櫓跡と見られる一郭があって東西の死角が防御ができ、西方には一段低い廓があるほか、土塁の一部が遺存しており、居館の存在したことガ認められる。
 この城は天正十年(1582)の大寺氏没落の後、石川氏惣領家の治所となったが、天正十八年(1590)に豊臣秀吉は石川昭光の所領を没収し、三芦城廃城とともに廃城となった。
                     石川町教育委員会



藤田城跡_f0048546_839092.jpg


主郭には、以下の文面が書いてある看板があります。

藤田城跡
石川町の北辺部、大字中野の堀ノ内、矢ノ内、高ノ内、滑津にまたがって所在し、国道118号線に沿う丘陵先端部に立地する。近隣の城館との位置関係は南方約4kmの地に石川城(三芦城)が、北方約2kmに川辺城(雲霧城、玉川村大字川辺)、また、東方約1kmの至近距離に曲木館(大字曲木)が存在する。
 基本プランは、東側の丘陵続きに大堀切を穿って城館全体を独立させ、曲輪①~⑤の主部部を構成している。また、周辺部に腰曲輪、堀で防御ラインを構築し、その規模は東西約300m、南北約250mで比較的広い地域を有している。
 曲輪①が、国道付近から比高約30mで城内最高所に位置し、規模は南北80m東西15~25m程で中心曲輪である。
 曲輪②は、曲輪①に接して西方に延びる東西約80mの曲輪であるが、南側壁面は曲輪①を加えると100mを超え、街道方面すなわち防御正面を意識した構築となっている。
 曲輪③は、一辺が30m程の比較的小規模であるが、西の谷からつづく虎口dや
北西隅から曲輪④に延びる竪土塁など注目すべき遺構が存在する。
 また、曲輪①~⑤にはそれぞれ腰曲輪が付属し、さらにその周辺部、北側に堀ア、イが、東側に堀ウ、が穿たれている。堀アを除き外の堀は一部谷状を呈しており自然地形を利用した構築と考えられる。特に堀ウは長さ約100m、幅約20~40m程の大規模なもので、中程から上部にかけて数段の高さ1.5~2m程の堀底障壁のある構造である。城内への侵入経路は虎口a→b→c→eが大手、虎口d→cが搦手に想定される。その他注目される遺構として、曲輪⑥の北側に谷状の堀イを隔て、「物見台」として格好な岩場が存在し、通路としての土橋状の遺構、あるいは曲輪②の南側に突出する、腰曲輪内の遮蔽や前面の掘り込みと相侯って通路を制限する竪土塁状の遺構が見られる。
 以上が藤田城の遺構及び構造の概要であるが、全体的な築城プランからはもとより具体的には、①曲輪の造成や堀の掘削など大規模な土木量、②曲輪縁部の突出や折れの存在、③明確な虎口の構築など、戦国期の形態を示していることは確かで、通説のごとく平安期中期、石川有光時代の選地、築城であったとしても、戦国期に本城たる大寺城の支城として拡張、整備されたものと考えられる。
(「石川町史第三巻資料編1考古・古代・中世」 より引用)
中野区 藤田城跡保存整委員会


今の城跡の殆どは、杉の木で覆われています。
藤田城跡_f0048546_8401714.jpg

Commented by rainbowdream700 at 2009-03-02 11:14
なるほど、こういうことでしたか。大きな城よりもこういうところに、地元に根をおろしたようなお城のほうが親しみが湧いて、生活のあとが伝わっていいですね。むしろ、こういう城が稀少価値もありますね。
Commented by geiei at 2009-03-02 22:35
虹夢’700さん、こんばんは。
 前九年の役の後に出来た城なので、歴史だけはかなり古いんですよ。
by geiei | 2009-02-28 08:41 | 豊臣秀吉 | Trackback | Comments(2)

福島県石川町中野(〒963-7837)を中心に周辺地域の情報を紹介致します。


by 鯨影
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