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カテゴリ:名所旧跡

  • GWの桜~長泉寺 @福島県石川町
    [ 2012-05-11 06:22 ]
  • GWの桜~鶴ヶ城 @福島県会津若松市
    [ 2012-05-01 06:19 ]
  • 竹駒神社2 @宮城県岩沼市
    [ 2012-04-28 08:09 ]
  • 竹駒神社1 @宮城県岩沼市
    [ 2012-04-27 06:43 ]
  • 旅立稲荷神社 @宮城県
    [ 2012-04-22 07:49 ]
  • 御釜神社 @宮城県塩釜市
    [ 2012-04-15 06:20 ]
  • 塩釜神社 @宮城県塩釜市
    [ 2012-04-14 08:23 ]
  • 志波彦神社 @宮城県塩釜市
    [ 2012-04-13 06:09 ]
  • 水天宮天満宮 @福島県船引町
    [ 2012-04-11 05:59 ]
  • 大鏑矢神社 @福島県船引町
    [ 2012-04-09 06:38 ]
わが町のサクラ風景にまだまだお付き合い下さい。
 本日は嫁さんの実家のお墓が在る長泉寺です。この日、法事があったらしく和尚さんの声が境内に響いていました。オイラが写真を撮る時の音が、向こうに響いていないかちょっとばかり心配でした。







赤い瓦の鶴ヶ城。サクラが良く似合う。
 これで、ビールがあれば最高なのに!って思えるほど、この日は気温が高くて、移動で利用した「ハイカラさん」と言うクラシカルなバスは早くもエアコンが効いていて、とても涼しかったです。






このシリーズのラストです。
 竹駒神社をうろうろして見つけたものをご紹介します。

何の変哲も無い錦鯉の泳ぐ池のように見えますが、奥の鶴のオブジェが口から勢いよく水を出しています。


狛犬ならぬ狛狐が、子狐と遊んでいます。


看板の名前の「正」の文字が右肩上がりになっています。縁起が良いですね!


本殿の境内の中に、小さな出雲神社がありました。


馬事博物館がありますが、(多分)東日本大震災の影響でクローズでした。


正面の鳥居の側に、「奥の細道」の文字が・・・。

「竹駒神社」は日本三大稲荷の一つだそうです。
 なぜ?って思えるほどに敷地が広い!っていうのが正直な感想です。岩沼駅から徒歩で向かったので、裏側から一旦敷地に入って、改めて正面の鳥居まで行ったのですが、その参道が長い!昔は他の地域の神社仏閣も同じだったのかもしれませんが、ここにはそれが残っていました。

日本三大稲荷 竹駒神社御由緒
御創建
 本神社は承和9年(842)小倉百人一首にも名を連ねている小野篁卿が陸奥守として着任に際し 東北開拓 殖産興隆の大神を奉祀して御創建されました

御祭神
 人間生活の基となる衣 食 住の守護神であられる 倉稲魂神 保食神 稚産霊神の三柱の稲荷大神をお祀り申し上げ 古くから日本三大稲荷の一社に数えられて産業開発 五穀豊穣 商売繁盛 海上安全 家門繁栄 安産 厄除 交通安全 諸願成就まど生成発展 産霊の大神として全国の崇拝者から極めて篤いご信仰を仰いでおります








神社の名前がオイラ向けだなぁ!って思って行って見ました。
 名前が「旅立稲荷神社」ですからね!地図を何気に見ていたら、この名前を偶然見つけたのですが、行かない訳にはいかないですよね!?

旅立稲荷神社由来
 本神社は京都伏見稲荷神社の御分霊を勧請し給う。特に旅立大明神と称せしは藩主伊達家代々江戸上下の際、道中の安全を祈願し、ご神徳の加護大なるにより広く世人の旅の守護神として崇敬を深め給う。
 現在、旅行安全、交通安全の守護神として崇敬されております。





きつねさんが顔を出していました。





念の為に最初に申し上げますが、「御釜神社」はその筋の方々の神社ではありません。
 「御釜神社」の詳細は下記の文面をご参照下さい。  

御釜神社の史跡と伝説

御釜
 御釜神社には、御釜とか神釜と呼ばれる四口の鉄製の釜が祀られています。塩竈の地名はこの釜に由来するものとされています。
 塩竈では古くから製塩が行われていました。近辺の貝塚遺跡からは、海水を煮詰めた土器の破片も数多く発見されています。土器製塩が鉄釜による製塩へと変わるのは、一般的には平安時代とされています。鉄釜の使用によって、塩の生産は飛躍的に発展したことでしょう。西暦1300年頃に描かれた塩竈津の風景画には、二基の釜が描かれており、この頃すでに塩焼きの釜が塩竈のシンボルになっていたらしいことが知られます。これら四口の鉄釜が、いつ頃のものかは不明ですが、江戸時代初期の塩竈の絵図にはすでにこれらが描かれております。

御釜の伝説
 四口の神釜には屋根がありませんが、ここに湛えられている水は、常に溢れることも涸れることもないとされ、江戸時代には、世に変事のある時、その前触れとして御釜の水の色が変わるといわれていました。また塩竈の地誌「奥鹽地名集」には、釜はかつては七口あり、そのうち三口は盗賊に持ち去られたという伝説が記されています。それによると一口は、釜ヶ淵(新浜町の東北区水産研究所の先の淵)の海底に沈み、別の一口は、野田の釜田(塩竈陸橋下あたり)の田の中に埋まり、さらにもう一口は、黒川郡志戸田村の塩竈殿(富谷町志戸田の行神社)と称される所の池に沈んでいると記されています。これらの現地には、それぞれ今もなおそうした言い伝えが残されています。

藻塩焼神事
 古代の製塩法を今に伝える「藻塩焼神事」は、ここ御釜神社で、毎年7月4日から6日にかけて行われています。
 まず初日(7月4日)は、花渕沖(七ヶ浜町)で海藻のホンダワラを刈り取ります。これが藻刈神事です。二日目(7月5日)は、釜ヶ淵で満潮時の海水を汲み、木の樽に入れて担いで運び、これを御釜に注ぎ入れます。これが水替神事です。三日目(7月6日)は、竈に鉄釜をのせ、竹棚の上にホンダワラを広げ、海水を注ぎかけ、燧石で点火して釜の海水を煮詰め、荒塩を作ります。
 古式に則ったその製塩法は、宮城県の無形民俗文化財に指定されています。

藤鞭社と牛石
 ここにある藤鞭社と牛石について「奥鹽地名集」は、次のような伝説を伝えています。
 昔、和賀佐彦という神様が七歳の子どもの姿となって、塩を載せた牛を曳かれました。その牛が石になったとされるのが牛石です。そこの池の中には、今もなお牛の背を思わせる石が沈んでおり、一年に一度の水替え神事の際、その姿を見ることができます。またこの池の水は海と繋がっているとも言われています。また神様が立てかけ置いた藤の鞭に枝葉が茂り、藤の花が咲いたのをお祀りしたのが藤鞭社(藤鞭の祠)といわれています。
 藤鞭社と牛石。神釜とともに、塩造りとの深い関わりを今日に伝えています。
NPOみなとしほがま






ここに鉄製の釜が在るそうです。


牛石の在る池?


藤鞭社

鹽竈神社って書くと読めないかな?塩釜神社へは今回が2回目です。
 東参道(裏坂)から行ったのですが、東側の門までずーっと石畳が続いていました。何かすげー!地域の人々の塩釜神社への思い(信仰)が伝わってきますね。



なで牛






樹齢500年の多羅葉。宮城県天然記念物に指定されているそうです。




表参道の階段は高校生のトレーニングに活用されているようです。

志波彦神社の鳥居を潜って直ぐの場所から塩釜湾を見下ろせる場所があり、その場所で手を合わせているご夫婦がいらっしゃいました。
 どんなことがあって、手を合わせる気持ちになったのかは定かではないですが、お二人のその姿を見て切ない悲しい思いが伝わってきました。

志波彦神社
 志波彦神社は塩釜の神に協力された神と伝えられ、国土開発・産業振興・農耕守護の神として信仰されている。当神社はもと、仙台市岩切冠川(七北田川)の畔に鎮座され、陸奥国延喜式内社百座のうち名神大社として、朝廷の厚い信仰があった。明治4年五月国幣中社に列格されたが、境内も狭く満足な祭典を行うことが不可能な為に、明治天皇の御思召により、明治7年12月24日に塩釜神社の別宮に遷し祀られた。さらに、昭和9年現社地に工事を起し、明治・大正・昭和三代にわたる神社建築の粋を集め竣工し、昭和13年9月に遷座した。本殿・拝殿何れも朱漆塗り、彫刻部分は極彩色漆塗りで、昭和38年塩釜市の文化財に指定された。
 平成6年 塩釜市教育委員会






大鏑矢ふれあい公園からJR船引駅へ移動中に見つけたのが、水天宮天満宮です。
 鳥居と社は一つですが、水天宮と天満宮の看板が2つ並んで掲げてありました。それにしても、水色の社って珍しいですよね?でも、青空に良く合う社でもありますね。




「そう言えは、大きな神社があったよなぁ!?」と思い出して、大鏑矢神社へ行ってみました。
 神社の周りは公園として整備されていて、かなり綺麗です。境内の方へ向かうと結婚式を終えたばかりのカップルが写真を撮っていましたので、写り込まない場所で暫くまって境内に入りました。
 すると「keep out」の黄色いテープが・・・。

大鏑矢神社由緒  通称 船引の大神宮様
 桓武天皇延暦20年(801)坂上田村麻呂が勅命を受けて当地方賊徒平定の際、当社へ詣で鏑矢を奉献して戦勝を祈願したと伝える。その後従者に命じて、この宮を護らせた。後世、田村庄船引城主の祈願所となった。





カエル?


流石、お殿様が祈願所にしただけあって立派な門です。


本殿。あれ?境内に黄色いテープが、殺人事件発生?


先日の台風並みの風でご神木の杉が倒れて、皮肉にも本殿の屋根に突き刺さってしまったようです。