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カテゴリ:JR走破

  • 銀山温泉への旅 JR大石田駅 @山形県
    [ 2012-04-02 06:22 ]
  • JR気仙沼駅 @宮城県
    [ 2012-03-30 06:23 ]
  • JR涌谷駅 @宮城県
    [ 2012-03-19 06:09 ]
  • JR利府駅 @宮城県
    [ 2012-03-14 06:08 ]
  • JR白石駅 @宮城県
    [ 2012-02-26 08:27 ]
  • ある日のJR水郡線 磐城石川駅@福島県
    [ 2012-02-07 06:06 ]
  • JR湯河原駅前の銅像:土肥寛平
    [ 2012-02-05 13:41 ]
  • 奥入瀬への旅 @青森県
    [ 2011-11-10 06:57 ]
  • 夏休み3日目 松本駅
    [ 2011-09-06 05:40 ]
  • 夏休み3日目 糸魚川駅とその近辺
    [ 2011-09-05 05:56 ]
3月のある日、山形県の銀山温泉へ日帰りで行ってきました。
 行程は下記の通りですが、羽前千歳駅に到着するまでの時間はでたらめで、それと言うのも山形県と宮城県の県境近辺では上下線とも徐行運転をしていた為だったのです。
 山寺駅の時点で約15分ほど遅れていましたから、羽前千歳駅で乗換えに支障が無いか心配でしたが、無事に乗換えて大石田駅に到着することができました。

◆行程(行き)
7:07発 仙台 仙山線 山形行
8:24着 羽前千歳

8:45発 羽前千歳 奥羽本線 新庄行
9:22着 大石田

9:50発 大石田駅前 レトロバス 690円
10:26着 銀山温泉

◆行程(帰り)
13:25発 銀山温泉 レトロバス 690円
14:01着 大石田駅前

14:39発 大石田 奥羽本線 山形行
15:26着 山形

15:43発 山形 仙山線快速 仙台行
16:57着 仙台

山寺駅から山寺(立石寺)が綺麗に見えました。


大石田駅に到着する頃は、少し雪が舞い始めました。ん?反対ホームが良く見えないぞ!?
何と雪で反対側の線路とホームが埋まっている!!
除雪した雪の置き場が無いと言うことなんでしょうけれども、かなり衝撃的でした。




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先日、気仙沼の龍の松をご紹介した直後にご紹介する心算でいたのですが、すっかり忘れていたJR気仙沼駅をご紹介致します。
 と言ってもすっかり記憶は薄れていて、帰りにサンマの蒲焼弁当を買う心算が売切れ(?)て無かったのしか覚えていなかったりします。




「日本初の産金の地」宮城県涌谷町をうろうろしてみます。

涌谷駅の駅名由来
 涌谷の地名の由来は、アイヌ語の「ワッカ・ヤチ」が転訛したものといわれています。「ワッカ」とは”水が涌く”という意味で、「ヤチ」あ”谷地”または”沢”を指します。つまり「水が涌く谷地」という意味になり、アイヌ語と和語が意味を相通しあっているということで興味深い地名といえます。
 また、昔、涌谷城西方の河岸明神付近には、矢柄造りに適した「矢竹」がたくさん生えていたので「矢が湧く」という意味から「湧矢」と呼ばれ、やがて涌谷となったという説も語られています。
 涌谷城は、藩政時代は涌谷伊達氏二万石の居城で、人物としては、小説「樅の木は残った」で有名な「伊達騒動(寛文事件)」の中心人物・伊達安芸宗重が知られています。
 この地名の由来を受けて、大正元年(1912)10月28日、石巻線が当地に開通した時、涌谷駅が開業しました。






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JR利府駅は東北本線の利府支線の終着駅です。




駅前のオブジェ


通りにあるオブジェ。なんと石で出来たサッカーボール!蹴ったら相当痛そうです。


新しいシリーズの開始です。
 まずは、白石市の玄関、JR白石駅です。ちなみに、東北新幹線の駅である白石蔵王駅とはちょっと離れているので、乗り換えをする場合は要注意です。

白石駅の駅名由来
 「白石」という地名は、かつてこの地方で「神石白石」という純白で光沢のある大きな石が産出されたからという説や、アイヌ語で”石がたくさんあるところ”という意味の「シュラウシ」からきているという説、また、かつてこの地方を割拠した白石氏という豪族の名前を由来とするなど、諸説があります。
 白石は、慶長7年(1602)、伊達政宗の第一の家臣であった片倉小十郎景綱が入場して以来、仙台藩の南の要衝として、また軍事拠点都市として発展してきました。
 この地名の由来を受けて、明治20年(1887)12月15日、東北本線が当地に開通した時、白石駅が開業しました。



鉄道創設時の油庫
 この赤煉瓦の建物は明治20年12月15日白石駅がこの地に営業開始とともに灯火類の油を収納する油庫として建築されました。
 東北本線白石駅開業時に建築された唯一駅構内に残る貴重な建物です。



駅構内にある鎧兜


駅前のポスト。ポストの上に白石城が乗っています。


白石駅の遠景


雪が降って、多くの人が雪を踏み固める。凍る。滑る。怪我する。
 そうなる前に、雪かきは重要な作業ですね!!寒い中、ご苦労様です。



お陰さまで、車窓からこんな景色を見ることができました。

ネタ切れの為、過去に撮影していて記事にしていなかった写真をご紹介します。
 本当は、源頼朝の家臣の銅像の写真を集めてからupする心算でいたのですが、いつになるか判らないので・・・。

由来
 土肥寛平公は中世日本史に活躍した郷土の武将である。治承4年(1180年)に源頼朝公伊豆に興るや、いち早くこれを援け、石橋山合戦には、土肥杉山にその危急を救い、鎌倉幕府草創に当たっては、軍監、追捕使、宿老として多くの功績を残した。公はまた領民を慰撫しその敬慕を受けたことは、全国諸所に残る墳墓、伝説がこれを物語っている。公の夫人は民や農民に姿を変えて敵を欺き、杉山に潜む頼朝主従に食料を運び消息を伝えるなど、その”心さかさかしき(源平盛衰記)は武人の妻の鏡として後世にまでたたえられている”ここに、源頼朝旗揚げより800年を迎え、土肥会創設50周年を併せ、記念として公並び公銅像建立実行委員会を結成し、町内外の有志の協賛を得て、その館跡、御庭平の地にこの銅像を建立したものである。


昨日の奥入瀬渓流発言は、本日からの新シリーズの布石でした。
 さて、今回の旅ですは下記のとおりの行程ですが、当初の予定では北海道函館市で宿泊する心算で考えていました。しかし、前日に当日の天気予報が曇りで、翌日は晴れであることを知ったので、函館の夜景を諦め、竜飛岬からの朝日を選らんだのでした。
 その為、函館なら観光客がワンサカ行くのでビジネスホテルの心配をしなくても大丈夫と思っていましたが、これが竜飛岬だと事情は異なって、有名某旅サイトを使っても竜飛岬の先端周辺でホテルがヒットしません。それで、地図を見て温泉に入れるホテルを見つけましたが、ネットで空き状況を確認すると予約が一杯でした。更に、民宿を見つけたので「津軽海峡亭」さんと言う津軽半島最北端の民宿を予約したのでした。
 この宿に泊まる為には、どういったスケジュールにすれば良いのかを考えて最終的なスケジュールを作ったのですが、最寄駅のJR三厩駅はローカル線なので、稼動本数が少ないので乗り換えの時間が無駄にならないように青森県立美術館の見学や浅虫温泉入浴などを詰め込んでみました。

◆1日目の行程
6:40発 仙台 はやて95号 新青森行
8:35着 八戸

8:45発 八戸駅西口 JRバス おいらせ21号
10:45着 子ノ口

▽奥入瀬渓流堪能その1

13:00発 馬門岩 JRバス みずうみ7号
15:05着 三内丸山遺跡

▽青森県立美術館見学・・・

16:05発 県立美術館 ねぶたん号(市内循環バス)
16:16着 新青森駅

16:27発 新青森 奥羽本線 青森行
16:33着 青森

▽青森駅周辺をうろうろ

18:04発 青森 津軽線 蟹田行
18:54着 蟹田

18:58発 蟹田 津軽線 三厩行
19:38着 三厩

19:42発 三厩駅 三厩地区循環バス
20:07着 竜飛漁港

▽「津軽海峡亭」さんに宿泊

◆2日目の行程
5:00 起床
6:00 朝日輝く
6:55発 竜飛漁港 三厩地区循環バス
7:24着 三厩駅

7:53発 三厩 津軽線 蟹田行
8:33着 蟹田

8:57発 蟹田 津軽線 青森行
9:43着 青森

9:51発 青森 青い森鉄道線 浅虫温泉行
10:10着 浅虫温泉

▽温泉入浴

10:46発 浅虫温泉 青い森鉄道線快速 大館行
11:06着 青森

11:20 青森駅 JRバス みずうみ8号
13:58 馬門岩

▽奥入瀬渓流堪能その2

14:44 石ケ戸 JRバス おいらせ24号
16:25 八戸駅

16:36 八戸 はやて34号 東京行
18:03 仙台


写真はバスから見た風景やバスの休憩時間に撮影した風景です。

十和田現代美術館周辺のオブジェ



酸ヶ湯温泉


蔦温泉


酸ヶ湯温泉直営かやの茶屋


青森市内


糸魚川駅の後は一気に松本駅です。
 途中、爆睡しながら数枚の写真を撮っていたようですが、何の写真を撮りたかったのか意味不明でしたので省かせて頂きました。また、途中、1度乗換えがあったのですがどうやって乗り換えたのか記憶があやふやです。ビールを飲んでいた訳ではなく、ただただ睡眠不足だっただけなのですが・・・。
 で、松本駅ですが、もう何度も訪れていますが、ちゃんと観光するのは今回が初めてです。そのせいなのか、松本駅の外壁に「旧松本駅表札」を見つけました。



旧松本駅表札の由来
 国鉄松本駅は、明治35(1902)年6月15日篠ノ井線西条松本間開通により開業し、昭和17(1942)年4月1日に改築された二代目駅舎は22年2月4日火災により焼失しました。
 戦後の資材不足のなかで、23年4月28日に再建された駅舎の落成を記念して、当時南安曇郡豊科町在住の曽山環翠先生の揮毫木彫により製作された表札が駅玄関に掲出されました。
 その後、松本市が昭和53年やまびこ国体により決定し、52年9月1日駅舎が取り壊された時、この表札はその使命を果たし外されました。
 このたび、市民の皆様のご要望により駅のシンボルとして掲出されたものです。
昭和60年7月




明後日以降にご紹介する場所へ行く途中に見つけた「ほんまちえびす」

糸魚川駅で乗り換えの為に32分もの時間がありました。
 それで、糸魚川駅の周辺をうろうろしてみました。と言っても駅の目の前の通りをそのまま真っ直ぐ進むと徒歩で5・6分のところには日本海を見渡せる場所がありました。そこは小さな公園になっていて、糸魚川でとれる翡翠がモチーフになっていました。





奴奈川姫
 奴奈川姫は越の国・奴奈川族の首長であった。すぐれた才知と美麗の持主で、その名は出雲の国まで伝わった。
 出雲の大国主命は、はるばる奴奈川姫と結婚するために越の国に来て、姫と歌を詠みかわした。そして二人は翌日結婚したと「古事記」にしるされている。