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カテゴリ:松尾芭蕉

  • 二木の松 @宮城県岩沼市
    [ 2012-04-26 06:20 ]
  • 塩釜市の名物? @宮城県塩釜市
    [ 2012-04-16 06:34 ]
  • 白石城公園 @宮城県
    [ 2012-03-04 07:55 ]
  • 雪景色の山寺2@山形県
    [ 2012-01-25 06:18 ]
  • 世界遺産「平泉」中尊寺5 @岩手県
    [ 2011-12-11 09:16 ]
  • 世界遺産「平泉」毛越寺1 @岩手県
    [ 2011-12-02 06:24 ]
  • 松尾芭蕉句碑@福島県福島市
    [ 2011-10-28 06:05 ]
  • 那須神社@栃木県大田原市
    [ 2011-10-17 06:16 ]
  • 白河関の森公園@福島県白河市
    [ 2011-10-13 06:26 ]
  • 愛宕神社@宮城県塩竃市
    [ 2011-07-14 05:52 ]
仕事では多く訪れる岩沼市。
 ちょっと気になる場所があったので行ってみました。そしたら、看板に松尾芭蕉の名前があって、「うー来て良かった!」って思いました。

岩沼市指定文化財 二木の松(武隈の松)
 この松は、陸奥の歌枕のなかでもその詠歌の多いことでは屈指の名木である。
 千余年前、陸奥の国司として着任した藤原元良(善)が植え、以後能因・西行をはじめ多くの歌人に詠まれるようになった。
 元禄2年5月4日(1689年、現在の6月20日)、この松を訪れた松尾芭蕉は、「武隈の松にこそめ覚る心地はすれ。・・・めでたき松のけしきになん侍し。」と「おくのほそ道」に記して「桜より松は二木を三月越シ」の句で結び、曽良の「随行日記」には、「岩沼入口ノ左ノ方ニ、竹駒明神ト云有リ。ソノ別当ノ寺ノ後ニ武隈の松有。竹がきヲシテ有。ソノ辺、侍やしき也。」とある。
 この松は、植え継がれて七代目といわれ、文久2年(1862年)に植えられたものと伝えられている。
 昭和44年(1969年)5月29日、市の文化財に指定された。
平成元年3月 岩沼市教育委員会





 この歌碑は、明治34年、岩沼の醸造家、松尾小左衛門が建立、書は碩学 鈴木省三(号・・雨香)によるもので、次の二首の歌が万葉仮名で記されている。
「宇恵し登き ち起里やしけ舞 多計久満の
   松をふたたび あ飛見つ留嘉那」 藤原元良
「堂希九万の 松八二木越 美屋古人
   い可々と問八々 み起とこたへ舞」 橘 季通





JR本塩釜駅から塩竃神社まで歩いている最中に、「芭蕉 船出の地」って看板を発見して、松尾芭蕉もここを訪れていたんだなぁ!って実感しました。
 オイラの場合、ガイドブックを見ないでうろうろしているので、街にある看板がないとそこに何が在るのか判らないし、歩いていてたまたま何かに遭遇するケースが多いので、こうして記事にしている時に、よく調べてから行けばよかったと後悔することもしばしばあります。でも、偶然の方が感動も大きいかな?と思っています(ただ、面倒なだけ?)。






「中華料理の店 竹屋」さん、チャーシュー麺700円

白石城の西側は公園になっていて、敷地の中に歌碑やお相撲さんの銅像などが建っていました。

第18代横綱 大砲萬右衛門等寸像(本名 角張萬治)
 明治2年11月28日、父萬吉の長男として、白石市大鷹沢三沢字唐竹に生まれる。
 少年のころ、60キログラムの米俵を両手に軽々と提げ町まで運び、「三沢の怪童」と呼ばれた。
 明治17年、年寄尾車文五郎の門に入り、郷里の地名にちなみ、しこ名を「三澤滝」と称した。身長198センチメートルの巨漢であった。明治21年しこ名を「大砲」と改める。
 明治34年4月3日、第18代横綱に推挙され一世を風靡した。
 大正7年5月27日没す。
 大砲生誕130年にあたり多くの有志とこの像を建立する。
平成11年10月28日 白石市長





「行秋の 山風あらき 籬哉」  俳人鈴木綾園の句碑



「粟まくや わすれすの山 西にして」  松窓乙二の句碑



「かげろうの 我肩に立 かみこかな」  松尾芭蕉の句碑



「羽と陸と 併せて蔵王 夏の山」  虚子の句碑

JR仙山線の山寺駅から、歩いて約5分程度で立石寺の参道に到着します。
 しかし、階段は雪で覆われて何とか歩ける状態でした。境内に鎮座する松尾芭蕉の銅像にも雪がかかっていて、白い衣を纏っているようでした。
 さーって、参道(登山道)を上りますかね!






中尊寺の敷地内には有料ゾーン(拝観料800円)があってその中に「金色堂」などが含まれています。
 実際にこの有料ゾーンに入っても金色堂そのものを撮影することはできないので、「金色堂」を覆う建物を外から撮影するしかないです。




中尊寺 宮沢賢治

七重の舎利の小塔に
蓋なすや緑の燐光

大盗は銀のかたびら
おろがむとまづ膝だてば
赭のまなこたゞつぶらにて
もろの肱映えかゞやけり

手触れ得ね舎利の宝塔
大盗は礼して没ゆる

詩碑の文字は宮沢賢治自筆のものを約20倍に拡大して写したもので金色堂建立850年を記念し昭和34年にたてられたものです。





「五月雨の 降り残してや 光堂」松尾芭蕉


経堂




旧覆堂の手前に芭蕉像

「平泉」で最初に行ったのが毛越寺です。
 入り口で拝観料500円を支払って中に入ると芭蕉の句碑「夏草や兵どもが夢の跡」があります。この句って、何か日本の政界を表しているような気がするのはオイラだけでしょうか?






通常、郡山市~仙台市は新幹線で移動するのですが、この日は訳があって高速バスで移動しました。
 吾妻PAで5分程度休憩するのですが、その際に外に出たら目の前に芭蕉の句碑が在るではないですか!すげぇ!!いつのまに!?

「笈も太刀も五月に飾れ紙幟」芭蕉



「国宝 那須国造碑」の次に行ったのが「那須神社」です。
 ここ那須神社の縁起に「元禄2年俳聖松尾芭蕉行脚4月13日当社に参拝したと奥の細道にも見え今日も芭蕉を訪ね参拝する者あります」と書いてありました。どうやらこの神社にも芭蕉が来ていたようですが、特に境内に歌碑のようなものは無かったので、ここでの目的は参拝だけだったようですね。






 那須神社の参道は入り口から本殿まで真直ぐに伸びているので、本殿から入り口を見ることが出来ます。


「白河関の森公園」に松尾芭蕉の銅像が在ると聞いたので行って見ました。
 場所は「白河の関跡」の直ぐ隣になります。「白河の関跡」へは何度も来ていましたが、「白河関の森公園」へは初めて訪れました。
 「白河の関跡」は春にカタクリが咲き乱れます。その為、以前は春になると「白河の関跡」を訪れていたのですが、最近はとんとご無沙汰でした。それは、以前は「知る人ぞ知る」と言った場所でしたが、「かたくり祭り」を開催するようになってカタクリが咲く時期がとても賑やかになってしまったからなのです。
 と言うことで、カタクリが咲く時期ではなかったので、貸切でこの公園をウロウロすることができました。

爽やかな秋を楽しむスポーツ&お出かけスポット!





このシリーズのラストになります。
 偶然って恐ろしいですね!?塩竃神社の後、JR塩釜駅へ戻る際に、近道をする為に携帯電話の地図を見ながら歩いているとたまたま「愛宕神社」の階段を登っているとその途中に石碑がありそこに「芭蕉」と思われる文字を見つけたので撮影してみました。
 帰ってから調べてみると確かに松尾芭蕉に関連していて、「芭蕉晩鐘の碑」と呼ばれている石碑でした。
 ちなみに、オイラは松尾芭蕉の辿った場所に意識的に行っている訳では無いのでこの偶然には正直驚いています。





この日の夕日がとても綺麗だったんですよねぇ!