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カテゴリ:歴史

  • GWの桜~会津武家屋敷 @福島県会津若松市
    [ 2012-05-03 07:23 ]
  • 兜塚古墳 @宮城県仙台市
    [ 2012-04-24 06:12 ]
  • 悪戸古墳群 @福島県石川町
    [ 2012-04-21 07:27 ]
  • 亀井邸 @宮城県塩釜市
    [ 2012-04-12 06:04 ]
  • 利府城跡 @宮城県
    [ 2012-03-16 06:16 ]
  • 武家屋敷 @宮城県
    [ 2012-02-29 06:23 ]
  • 福島県立博物館
    [ 2012-02-23 06:12 ]
  • 仙台市八木山動物公園のベーブ・ルース@宮城県
    [ 2012-02-08 06:17 ]
  • 仙台市科学館2 @宮城県
    [ 2012-01-05 06:35 ]
  • 世界遺産「平泉」平泉駅 @岩手県
    [ 2011-12-16 06:06 ]
サクラを求めて、「会津武家屋敷」に来てみました。
 会津若松市へは何度も何度も来ていますが、実は「会津武家屋敷」へは初めて来ましたが、この時期のサクラは勿論良かったのですが、本来の武家屋敷としても十分に見ごたえのある場所です。



姿三四郎のモデル  西郷四郎 1866~1922(慶応2年~大正11年)
 山嵐という得意技で無敵を誇り、戊辰戦争の余韻が残る明治中期に忽然と現れた天才柔道家西郷四郎は、会津城下で生まれ、今の新潟県津川町に移住後明治15年に上京、嘉納治五郎創設の講道館に入門した。同19年には五段に昇進し、講道館四天王の一人と謳われた。「その得意の技においては、幾萬の門下いまだその右に出るものなし」と嘉納も絶賛したのである。そもそも四郎は、会津藩士志田貞二郎の三男であったが、歴史上の奇縁というべきか、明治17年に保科(西郷)頼母の養子となり、同21年に西郷家を再興、ここに西郷四郎の誕生となった。柔道界に伝説を残した四郎であったが、入門から8年を経た明治23年、突如講道館を去り進むべき道を模索。曲折の末長崎に居を構え、東洋日の出新聞の編集責任者として活躍するが、病気療養中の広島の尾道で大正11年12月22日、波乱万丈の生涯を閉じた。57歳であった。
 柔道のみならず、四郎は、槍術、居合術にも秀で、弓道は奥義を極めていた。そんな四郎をモデルに、夏目漱石は「坊ちゃん」に山嵐を登場させ、富田常雄は小説「姿三四郎」を発表し空前の大ヒットとなる。また、あの黒沢明監督のデビュー作も「姿三四郎」だったことはあまりにも有名である。
 見えぬ糸で結ばれ、共に数奇な運命を歩まなければならなかった西郷頼母と四郎。その縁に従い、復原された家老屋敷の門前に四郎の像を建立し、長くその足跡を称えるものである。







鑑真(688~763)
 中国の名僧・鑑真は、日本からの招きにより8世紀半ば(753年)来日。当時の航海は容易ではなく、12年間5度の失敗を乗り越えようやく日本にたどり着いた。仏教宗派の一つである律宗を広め、唐招提寺を開き、他にも建築、美術といった分野に大きな影響を与える。その功績により朝廷から「大和上」の尊号を授かり、日中友好の象徴的な人物として今日まで語り継がれている。この鑑真像は中国彫刻界の第一人者の作で、中国との関係が深い当館館長が、日中国交正常化10周年を記念して安置したものである。


広瀬橋からこの「兜塚古墳」まで歩いたのですが、正確な場所を知っている訳ではないので、3人もの方々に道をお聞きしてやっと見つけました。
 最後はランニングしていた高校生に聞いたのですが、その高校生はこの「兜塚古墳」の存在を知らなかったのですが、いつものランニングコースに「兜・・・」って文字のある看板を見かけた気がすると何とも薄~い記憶ではあったのですが、大凡の場所を聞いて行ってみると見事にその場所に「兜塚古墳」がありました。
 古墳に興味がなくとも意外に「兜」って文字で覚えているものなのだと感心してしまいました。

兜塚古墳
 この古墳は明治時代後半から存在が知られており、昭和52年に宮城県教育委員会によりその一部が調査されたが、周皇(墳丘の周囲にある溝)のありかたから推して円筒埴輪をもつ帆立貝式の前方後円墳と考えられる。現状は直径約50mの三段築城の円墳状になっており、一部市道で削り取られているが、後円部に当るものと思われる。墳頂は標高約22m(現地表から約5.5m)主軸の方向(古墳の向き)北西~南東で、古墳の造営年代は5世紀後半頃であろう。
 宮城県教育委員会
 仙台市教育委員会






兜塚古墳に到着する途中で見つけた看板は「木流し掘」

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野暮用が近所であったので、ちょいとばかり足を延ばして「悪戸古墳群」を久々に見にいってみました。
 以前、ここへ来たのは中学1年の時でしたので、えーっと3年ぶりくらいですかね。

福島県指定史跡 悪戸古墳群
 阿武隈川の東岸、南北にのびる丘陵の西斜面に位置する本古墳群は、9基の円墳からなっている。以前は、11基からなっていたが、2基は破壊されている。7基の古墳は、径が約15~18メートル前後で、封土の上部は平坦に近く、高さ1.5~3メートルで周濠(古墳のまわりのほり)が確認でき、石室の一部を露出したものがある。一号墳は、最高地に位置する民家の背後にあって、すでに開口しており、推定径は18~20メート前後、高さは約3メートルである。なお、9基のうち、2基は半分破壊されている。
 このように、本古墳群は11基の円墳からなる群集墳で、一号古墳石室は巨大な花崗岩からなり6メートルを越え、さらに袖無型の形態をしていることから初期の横穴式石室とみられる。年代を示す出土品は失われているが、七世紀初頭の古墳と考えられる。
 福島県教育委員会







「悪戸古墳群」の直ぐ近くには「長寿公園」があります。


塩竈神社へ行く途中に、「亀井邸」見学無料の文字を見つけたので見学してみました。
 玄関に入って、まず驚くのが床がタイルで埋め尽くされているんですよ。大正時代の平均的な建築がどうなのか不明ですが、現代の家と比較するとモダンって言葉がピッタリかもしれません。


大正ロマンを感じる「亀井邸」
 塩竈神社裏坂の大鳥居をくぐり、左手の高台を見上げると、赤松に囲まれた洋館と和風住宅が見えます。これは、亀井商店「現・総合商社カメイ株式会社」の初代社長の亀井文平氏が大正13年に建てた塩釜港の繁栄と亀井商店の隆盛を象徴する建物です。


亀井邸(洋館付き住宅)の魅力
 洋館付き住宅とは、玄関脇に洋館(洋間)が付いた和風住宅のことで、宮崎駿のアニメ映画「となりのトトロ」の舞台にもなり「愛・地球博」(愛知万博)でも「サツキとメイの家」として再現されました。亀井邸について歴史的・建築史的に調査を行ったところ、塩竈の大正時代を映し出す大変貴重な建物であることが判明しました。






玄関で靴を脱いで上がって床を見ると木をくり貫いた跡が、徳利とお猪口になっていました。家主の遊び心が光っていますね。


玄関先の階段を登ると更に登る階段が2つありました。これも珍しい構造ですよね。


黒光りした廊下


シンプルな部屋

利府小学校の直ぐ脇にある小道を登って行くと館山公園があります。
 その頂上付近が利府城の跡のようです。しかし、その頂上へ続く道の一つは東日本大震災の影響で今も通行禁止のようなので、大きく迂回して登ってみました。
 頂上は意外にも狭いのですが、沢山の桜の木があるのできっと春になると綺麗な花見の場所になるんでしょうね!

利府城跡について
 鎌倉時代に留守一族の有力者であった村岡氏の館が築かれていましたが、永禄12年(1569年)、留守一族内部の家督相続問題が起き、留守氏の血筋を守ろうとする立場にたった村岡氏と伊達政景(伊達晴宗の三男・留守政景)を養子に迎え、伊達氏の勢力下にあって留守家安泰を図るべきとする伊達派が対立した。この時、村岡氏は村岡城(後の利府城)にたてこもり、戦いましたが、敗れて滅亡したといわれています。その後、永禄13年(1570年)、留守家の養子にはいった政景はこの地に移り、城名を「村岡城」から「利府城」に改めたといわれています。政景は、天正18年(1590年)に黒川郡大谷城に配置換えを命じられるまでの20年間、本拠地としました。
平成19年1月 利府町教育委員会






桜の木を植えた記念碑と思われます。

この頃の中級の武士でも、この程度の家にしか住めなかったの?と思ってしまう程に質素な屋敷でした。豪農と呼ばれる農家はもっと大きな家に住んでいたので、当時の武士の懐具合が想像できますね。「武士は食わねど高楊枝」ってことだったのでしょうね。

武家屋敷(宮城県指定文化財)
 旧小関家は、白石城の北、三の丸外堀にあたる沢端川に面しており、かつては中級武士の屋敷がありました。
 小関家は奥方用人として活躍した片倉家の家臣で、この屋敷は享保15年(1730年)に建築されたことが確認されています。
 平成3年に白石市に寄贈されたのを機に全面的に修復されました。







実は鶴ヶ城の写真を撮っている途中に、福島県立博物館へ行って時間調整をしていました。と言うよりも強烈な眠気に襲われて、早く横になりたくて場所をよく知っている鶴ヶ城の直ぐ側に在る福島県立博物館へ行ったのでした。
 行って直ぐに寝るのも勿体無いので、展示物を眺めてから途中にある映像ライブラリのソファーに移動。更に折角なので過去のニュースを眺めていると段々と目が冴えてきて、結局連続して過去のニュースを眺めていました。過去のニュースって意外に面白い!!





ベーブ・ルースは知っていますが、ベーブ・ルースが仙台で野球の試合をした事。そして、その試合でホームランを打った事を初めて知りました。その事実を仙台市八木山動物公園内の彼の銅像が設置されている事で知ったのです。
 と言う事で、仙台市八木山動物公園シリーズの開幕です。

ベーブ・ルース ここにホームランを放つ
 1934年(昭和9年)、野球王ベーブ・ルース等の全米大リーグ選抜チームが来日、東京6大学チームを中心とする全日本チームと親善試合を18回行って全勝した。2年後、日本にも職業野球連盟が生まれており、プロ野球の夜明けとも言うべき年であった。
 仙台では11月9日、第4戦がこの地、宮城県営八木山球場で行われ、ルースが日本で初ホームランをスコアボード右へ、続く第2号を左中間へ放っている。ホームラン第1号を打ち込んだのがこの場所に当たる。
 八木山球場は、八木久兵衛氏が私財を投じて造り県に寄贈した施設で、その後、仙台市に移管され動物公園のアフリカ園になっている。
 仙台における日米野球史を後世に伝え、時や国境を越えて夢と感動を与えている野球がいつまでも出来る平和な世が続くよう祈念してブロンズ像を建立した。
 2002年(平成14年)11月 ベーブ・ルースの像を建てる会  彫刻 翁 観二






仙台市八木山動物公園の入り口に在った八木久兵衛氏の銅像

マンモスゾーンです。
 ギャートルズで表現されていた野球バットの様な骨に丸い肉の付いたアレに憧れた方は多いと思いますが、実際にマンモスの肉は美味いのかなぁ?炭火で炙ったパターンとユッケのパターンと試したい!あっ!ユッケは禁句かぁ!?






平泉駅から徒歩で10分程度の所に「無量光院跡」、「柳之御所跡」、「伽羅之御所跡」などが在りますので遺跡マニアも楽しめる場所です。




無量光院跡


柳之御所跡


伽羅之御所跡