黄金塚
2006年 01月 21日
この石塚には平安時代の歌人:和泉式部にまつわる伝説が残されている。
和泉式部はここからここから程近い隣村の曲木に産声をあげた。
幼少の頃より才媛に恵まれ、長じては敦道親王との恋に情熱を燃やして
京に上り歌道に精進し、そして数多くの名歌を吟じ女官式部に昇進した。
しかし、晩年に及んでは家郷に想いをはせて懐かしい曲木の里に帰郷した。
そして、小さな堂屋を建て、かたわらに草庵を結んでここで静かに生涯を閉じた。
里人たちは、和泉式部の死を悲しんでこの石塚に遺骸と愛用の品々を埋めて
手厚く葬ったと語り伝えられている。
朝日さす けやきの丘の石塚に 埋めし黄金千両万両(作者知れず)
昔、ここから程近い曲木に堂平という所があり、そこに一晩でお堂を建てて
くれれば大金を支払うという人がいた。これを聞いた大工達が準備を整えて
大急ぎで作業に取り掛かった。作業は順調に進んで夜半になった頃、つむじ
曲がりのいたずら者が夜明けを知らせる鶏の鳴き声を「コケコッコー」とまねを
して大工達を驚かせた。大工達は「もう夜が明ける。とても一晩では無理だ
なぁ」と諦めて作業を止めて帰ってしまった。その時に支払われる筈だった
大金をこの石塚に埋めてしまったということである。
この歌は、このことを詠んだ句であるといわれている。
※この塚を七回半、回るとお姫さまが出てくるという言い伝えがあるそうですが、意味が分からないです・・・