平取町の義経資料館で船魂神社が源義経の伝説が残る場所であると知ったので来てみました。
本殿は残念ながら工事中で全貌は見れませんでしたが、義経の伝説が残る童子岩は見ることができました。
しっかし、函館に何度も来ていますが、義経資料館でこの神社を知らなければ、見逃すところでした。
船魂神社
融通念仏宗を広めるため、良忍という高僧がこの地に来て、「ここは観音菩薩の霊跡である。」といい、保延元年(1135年)観音堂を建てたのがこの神社の始まりとされ、北海道最古ともいわれているが明らかではない。
また、源義経が津軽から渡航したとき、遭難しそうになったところを船魂明神の加護で無事上陸したなどの伝説もあるが、もともとは観音菩薩を祭る観音堂と呼ばれていたらしい。
江戸時代末期に船魂大明神と称し、明治12年(1879年)に村社になり船魂神社と改称した。
明治25年(1892年)に改築された社殿は、同40年(1907年)の大火で消失した後、一時、谷地頭町の函館八幡宮に神体を移していたが、昭和7年(1932年)この地に本殿を築いた。現在の建物は、同37年に改築したものである。
函館市
童子岩
鎌倉時代の建久年間、源義経主従は津軽の三厩からえぞ地へ渡ろうとした。その時逆浪のため船が沈みそうになったが、どうにか船魂明神神の加護により上陸するととかできた。ようやく辿り着いた一行は喉がかわき水を探していたところ、こつ然と童子が岩の上に現われ指をさした。
その方向を見るとこんこんと水が勇き出たという。
この岩を人びとば童子岩と呼ぶようになった。またその水を御宣託の泉といった。
また誤って洗濯水といわれたこともあったが今は泉の跡すらない。
函館観光協会