義経神社の同じ敷地の中に義経資料館が在ります。
義経に関わる伝説を知ることができます。その中で、義経神社については下記の文言が書かれていました。
また、以前テレビ番組(某国営放送)で作家:高橋克彦さんが、平泉で亡くなったはずの義経の北行伝説が東北~北海道に残っていて、その伝説が残る場所がほぼ1本のルートで表現することができることから、義経は生きて蝦夷に渡ったと力説されていました。オイラもその伝説を信じたいと思っています。
しかし、オイラの乏しい記憶の中で義経の評価は、いくら伝説とは言え青森・岩手ではとても良い内容なのに、北海道での評価は低い内容が多いのはなぜなんでしょうね?
義経神社
アイヌ首長ペンリウクらが義経像を祀ったのがはじまりで、ハンガンカムイ(源九郎判官義経公)は祖神オキクルミカムイの再顕であるとアイヌの人たちは尊崇していました!御神体の義経像は、近藤重蔵の寄進によるもので、現在の社殿は、原始林の御神木が生い茂る鎮守の森の中に鎮座し氏子を加護しております。
北海道沙流郡平取町
神威岩とメノコ岩
首長の娘シララと恋仲になった義経は、あるとき首長の秘蔵古巻物をうばって岩内の浜から舟を漕ぎ出しました。シララはそれを知り追いかけましたが神威岬の沖で沈没し、水死しました。義経への想いが断ち切れないシララの一念が岩となりメノコ岩と呼ばれるようになりました。
北海道積丹郡積丹町入舸