十和田市現代美術館の後は、一旦八戸駅に戻ってから八戸市博物館に行きました。
目的は体育座りの彼に会うために・・・。ところが、彼はここに居ないことが判りました。ここにいると思い込んでいましたが、別の場所にいることが判ったのです。
でも、折角ですので一回りさせて頂きました。
南部師行公
元弘3年(1333)、後醍醐天皇は、奧州を治めるため北畠顕家(あきいえ)を陸奥守に任じました。顕家は、天皇の第8皇子義良(のりよし)親王(後の後村上天皇)を奉じて陸奥国府に赴任しましたが、このとき甲洲(山梨県見延町)出身の南部師行(もろゆき)等もこれに従い陸奥に向かいました。
建武元年(1334)、師行は広大な陸奥国の北半を治めるため根城を築き、国司の代官として南朝方の中心的な存在となって活躍しました。
しかし、延元3年(1338)5月22日、師行は、北朝方の足利軍との戦いに破れ、泉州堺浦(大阪府堺市石津)で主君の北畠顕家と共に討ち死にし、二度と八戸の地を踏むことはありませんでした。
その後、師行の子孫達は、寛永4年(1627)に遠野へ移るまでの約300年間にわたりこの地に住み続け、八戸発展の基礎を築きました。
21世紀初めの記念すべき年に、根城南部氏の歴史を振り返り、このまちがさらに発展していくことを願って、南部師行公の銅像を建立します。
なお、建立にあたって、根城史跡保存会(会長正部家種康氏)を始め多くの方々から協力を賜ったことを記します。
2001年7月吉日 八戸市長 中里信男
この博物館は高台に在るので眺めが良いです。