徳川慶喜終焉の地 @東京都
2014年 11月 24日
徳川家茂や慶喜がもっとしっかりしていれば、会津若松の地が同じ日本人に蹂躙されることは無かったかも?って思うと感慨深いです。
徳川慶喜終焉の地
徳川幕府最後の将軍慶喜は、水戸藩主斉昭の七男として、天保8年(1837)小石川の上屋敷(現小石川後楽園一帯)で生まれた。
その後、御三卿の一橋家を相続した。ついで、幕末の動乱のさなか、長州攻めの陣中で没した第14代将軍家茂のあとを継ぎ、慶応2年(1866)第15代将軍となった。
翌、慶応3年大政奉還し、鳥羽伏見の戦いの後、天皇に対し恭順の意を表して水戸で謹慎、明治維新後、駿府(静岡)に隠棲した。明治30年(1897)東京の巣鴨、さらに明治3年誕生の地である旧水戸屋敷に近いこの地に移った。
慶喜は、のちに公爵、勲一等旭日大勲章を授けられ、大正2年(1913)11月22日、急性肺炎のためこの地で没した。享年76歳。寛永寺墓地に葬られた。