誠心院 @京都府
2014年 05月 07日
観光客で賑わう新京極通沿いに山門と直接和泉式部のお墓に行ける門が在ります。何とも不思議な空間ですが、確かに和泉式部のお墓はそこに在りました。
誠心院のHP
http://www.seishinin.or.jp/
誠心院
華嶽山東北寺誠心院と号する真言宗泉涌寺派の寺で、才色兼備で知られる平安時代の代表的な女流歌人、和泉式部を初代住職とする。
寺伝によれば、関白藤原道長が、娘の上東門院(藤原彰子)に仕えていた和泉式部のために、法成寺東北院内の一庵を与えたのが当寺の起りといわれている。
当初、御所の東側(荒神口の辺り)にあったが、鴨川の氾濫などにより一条小川(上京区)に移築再建され、更に天正年間(1573~1591)、豊臣秀吉の命令でこの地に移された。
本堂は小御堂と呼ばれ、堂内には、本尊阿弥陀如来像をはじめ、和泉式部、藤原道長のそれぞれの像を安置している。境内には、和泉式部の墓と伝える法篋印塔及び式部の歌碑が建てられている。また、傍らの梅の木は、式部が生前愛した「軒端の梅」にちなんで、後に植えられたものである。
京都市
和泉式部誠心院専意法尼の墓所(宝篋院塔)
あらざらむ この世のほかの 思ひ出に
いまひとたびの あふこともがな
(和泉式部 百人一首より)
寺伝によりますと、平安の女流歌人の代表とされる、和泉式部は当誠心院の初代住職と言われています。
大江山 いく野のみちの とほければ
まだふみもみず 天の橋立
(小式部内侍 百人一首より)
その歌を母と共に百人一首に収められている。娘小式部内侍は、若くして他界します。娘に先立たれ、この世のはかなさを思った和泉式部は、当時、女人には出来ぬとされていた、往生のすべてを求め、誓願寺のご本尊のお告げにより、六字名号を念仏し女人の往生を成し遂げます。その後、和泉式部は六字名号を念仏する人があれば、二十五菩薩と共にお迎えに来てくださると言う、謡曲「誓願寺」の舞台にもなっている法篋印塔が左の石塔です。
「わらわがすみかも他所ならず。あの石塔こそすみかにてさむらへ。不思議やなあの石塔は和泉式部の御墓とこそ聞きつるに そもすみかとは不審なり。」
(謡曲誓願寺より)
この石塔は正和2年(1313年)に改修建立されたもので、高さ約4メートル、幅約2.4メートルあります。
江戸時代の名所絵図には、石塔と共に、傍らにあった軒端の梅が描かれています。和泉式部を慕い多くの旅人が参拝した様です。
近年、整備の機会を得、新京極通りから直接参拝できるようになり、毎日多くの女性が訪れる様になりました。
案内図の通り、境内には、和泉式部歌碑をはじめ、「二十五菩薩」「式部千願観音」「神変大菩薩」「六地蔵尊」の石像があります。
ごゆっくりとお参り下さい。
合掌 誠心院