定義如来西方寺~貞能堂 @宮城県
2012年 10月 31日
ここで、定義の名前をご理解頂く必要がありますので、由来をご一読願います。じゃ、そういうことで。
定義如来の由来
開祖ともいうべき、肥後守平貞能公は、平重盛公(内大臣、小松殿)の重臣でした。
貞能公は、平家が、壇ノ浦の戦いに敗れた後も、平重盛公より託された阿弥陀如来の御霊像をまもり、源氏の追討をのがれて、この地に隠れました。
ここにおいて貞能公は、なおも世をはばかり、名を「定義」と改めました。この地を「定義」、阿弥陀如来様を「定義如来」と呼ばれる由縁です。
貞能公は、建久9年(1198)7月7日、御年60歳を以てお隠れになり、そこで従臣達は貞能公の遺命を奉じ、公の墓上に小堂を建て如来様の宝軸を安置し守りました。
宝永3年(1706)、従臣の後裔早坂源兵衛が、自ら出家し「観蓮社良念」と称し、「極楽山 西方寺」を開創されました。
定義如来物語
東日本大震災の影響で地場沈下してしまい入堂を制限していて、中には入れませんでした。
見事な彫刻でした。