嫁さんとドライブ@福島県猪苗代町 田中正玄の墓
2011年 05月 23日
なぜ、このような場所にあるのか?と思いましたが、かつては猪苗代湖も見渡せる眺めの良い場所だったのではないかな?そして、彼の愛した場所をいつまでも見守って欲しいと考えたのかな?などと一人納得したのでした。
田中正玄の墓
田中三郎兵衛源正玄は正之公の重臣である。正玄の父は佐渡金山奉行であった。慶長18年6つき佐渡に生れ16才で信州高遠で正之公に仕えた後累進して家老となる。資性温和大量の人であった。正之公江戸にあって4代将軍家綱の補佐にあたられたので、その留守の間、会津藩の執政を預かって大きな功績を挙げられた。
その政務に当たっては
1.君の心を正すこと
2.士を愛すること
3.庶民をあわれむこと
この3つに留意し是を実行に移された。寛文12年5月28日病で卒せられた62才である。城下の諸士庶民と共に親を喪った如く嘆き悲しんだのである。正之公も「正玄我に仕えること40年忠貞の誠をつくし一度も私をさし挟んだ事を謀ったことはなかった。ああ天何ぞ彼を我に先だたせたか」と嘆かれた。
6月2日磐梯山の南麓に葬ったこの年の8月21日正之公は自らの墓地を見祢山に定め帰途正玄の墓に立寄られ「正玄ここにあるか我も近くに参るぞ」と仰せられた。供の者皆流沸して仰ぎ見ることが出来なかった。御手掛けの松が残されてある。
・・・今の政治家に見習って欲しいですね。
現代の政治屋さんは、回りくどく説明することが仕事であると勘違いされている。そして、選挙を意識して地元の為だけに注力している。
結果、利益を生まないことは適当に行って、原発人災が発生した訳ですね。