第13回神宮外苑いちょう祭り
2009年 11月 29日
この日、この場所に行くまでに何も食べていなかったので、お昼に食べたものをご紹介します。
鶏肉の表面がパリッと香ばしく、そこに溢れるホワイトソース・・・思い出しただけでヨダレが出てきます。
この店の最大の欠点は、フロアの対応をしている方です。歯痒い位に段取りが悪いです。オイラとは関係なければ笑って居られますが、少しでも関係するとかなりイライラします。でも、最後にコーヒーをサービスして頂いたので、まあいいか!
チキンタツタバガー800円、生ビール中500円
Doggy's Diner
東京都港区北青山1-5-15
実はこの日14:00から17:00頃まで、この銀杏並木をウロウロしていたんです。人が居ない時を狙って撮影したかったのですが、まったく人が途切れないので、日暮れまでいる羽目になってしまったのです。
※人を撮影したくはなかったのですが、写ってしまっていますので、この記事についてはコメント不可にさせて頂きたいと思います。
銀杏並木
いちょう(銀杏・公孫樹)
銀杏は、現存する最も古い前世界の植物の一つです。地質学上古生代の末期(一億五千万年前、巨大な恐竜が生息していた持代)に地球上にひろく分布し、生育していた樹種です。従って、その化石の発見は極地より南北両半球、中国・日本にまで及んでおります。氷河期の到来により、多くの地方では、銀杏樹は絶滅しましたが、温暖な気候を保ち得た中国では死滅を免れ、生育を続けて現在に至っております。
日本の銀杏は、この中国より渡来した樹種で、現在では街路樹・防火樹・庭木としてひろく植えられており、「東京都の木」ともなっております。現在では東南アジア以外ではほとんど植えられておりません。
並木の総本数は146本(雄木44本・雌木102本)
四並列の銀杏の大木が作り出した、世界に誇り得る銀杏並木の景観。これを通し、正面に白亜の絵画館を望む人工自然美の素晴しさ。若葉・青葉・黄葉・裸木と式折々の美しさ。長年にわたる管理、手入れの良さが見事な樹形を作り出しております。この、明治神宮外苑は大正15年(1926)10月22日の創建でありますが、その苑地造成に当たり、青山通り正面からの直線主要道路は、左右歩道の両側に植樹帯を取り、銀杏樹をもって四条の並木を造成することになりました。
これは、銀杏樹が、樹姿端正・樹高よろしく・緑量も豊富・気品高く・公害にも強く、威厳を保ちつつ年間を通しての来苑者に好景観を呈示し、外苑の広幅員街路の並木として最適なものとの考えによるものです。
この外苑の銀杏が、この世に実生えたのは、造園界の泰斗・折下吉延博士(外苑造成時の庭園主任技師・昭和41年86歳で没)が、新宿御苑に奉職中の明治41年(1908)新宿御苑在来木の、銀杏樹から銀杏を採集し、これを種子として代々木の宮内省南豊島御料地内(現在の明治神宮内苑)の苗圃に書いたことによります。その後、苗圃の木々はすくすくと成長し、その数1600本にもなりました。
外苑造苑に当たり、この銀杏樹を採用することとなり、既に樹高6メートル内外に成長していた、これら多数の中より候補樹を選抜し、更に並木として適格になるように、年々樹形を整えてきたものを、大正12年(1923)に植栽したものです.
直路四条の並木と、途中西折して女子学習院正門(現秩父宮ラクビー場)に至る二条の並木も同時に植えられております。最高24メートル・目通り周り2メートル80センチ、最低17メートル・目通り周り1メートル87センチのものを、樹高順に青山口より降り勾配に従って植えられております。絵画館を眺む見事な遠近法の活用です。
この銀杏が、苗場で実生えてより実に八十有余年、外苑に植栽されてより早や七十年、このように雄大に・見事樹形を保ちつつ成長しております。銀杏樹は植生の環境、手入れが適当であれば、その成長がいかに偉大であるかを、如実に物語っております。
樹木の運命は、その立地の適不適によって決められるものでしようが、よき所で、よく育てられ、よき場所に植えられた樹木ほど幸福なものはないでしよう。同じ時期に、苗圃で育てられてきた、これら多くの兄弟木は、世にも稀なる幸福な樹木と言えましよう。今後幾百年、これら兄弟木の銀杏は生長に生長を続けて老大成し、その偉大なる勇姿を発揮し、外苑々地と融和し、数々に見事な人工自然美を楽しませてくれることでしょう。
平成御大礼の日 之を建つ
平成2年11月12日 明治神宮外苑